“当てること” と “当たること”

弓道を教えていた祖父から多くのことを学んだ。

「当てる」と「当たる」の違いもそのひとつ。

30メートル向こうの的に向けて矢を射て当てる、至極シンプルなスポーツ。門下生となったのは高校生の頃。

こちらとしては「当てたい」一心で日々練習に励むわけだが、祖父からは

「弓の的に矢を当てようとしてはいけない。結果として自然に“当たる”ようになるまで毎日毎日練習するように」と、何度も何度も口を酸っぱくして教え込まれたものである。 当時まだ若かったため、色気ムンムンで試合などに臨んでしまうのだが、すぐに見抜かれて“的当てゲームがしたいなら、縁日の射撃ゲームにでも行け”と手厳しくたしなめられていた。祖父にとってそれは“スポーツ”ではなく、弓の“道”を学び続ける行動だったのだろう。

祖父の言を現在の仕事に引き寄せた場合、プレイスメントを「決める」 と 「決まる」のニュアンスの違いになる。

ご縁というのは不思議なもので、決めようと無理を通すと、するっと逃げてしまうもののようである。或いは、後で難儀が待つことになる。  対して、決まる御縁は自然にそうなるもの、という「覚悟」でいると状況がそうなっていくように思う。 

ここは重要なポイントな気がしている。

自身の軸がぶれていないかどうかを祖父と心の中でよく会話をするのだが、生きていたらなぁ、話をしてみたいなぁ、と最近よく思う。

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“当てること” と “当たること” への4件のフィードバック

  1. 松下信武 のコメント:

    おじい様のお言葉はすばらしいと思います。

    剣道のさとりとよく似ているとおもいました

    またオリンピックの金メダルも同じですね

    金メダルととりたくてけんめいに練習をしなければいけませんが

    試合のときは

    金メダルを考えるとよい結果はでないと思います

    あてるではなく、あたる

    手に入れるのではなく、手にはいってくるような感じでしょうか

    意志決定も「決まる」がよいと思います

                松下

    • tomeoka のコメント:

      留岡です。コメントありがとうございます。スケートで実績ある松下さんの言葉だけに重みがありますね。確かに「決まる」時は良い結果に結び付いてきた気がいたします。

  2. 高橋 秀行 のコメント:

    将に、私もかくありたいと感じております。
    例えば、商いならば『儲ける』ではなくて『儲かる』
    医療ならば『治す』ではなくて『治る』
    トラブルであれば『収める』ではなくて『収まる』

    無駄な人口工作や取り越し苦労に呑まれることなく
    今なすべきことにゆったりした心で誠実に取り組んで行く。
    何とも難しいことですがそんな境地を目指したいものです。
    そのような思考が自身にとって、結果的には最も良い方向へと
    導かれて行くような気がするのです。

  3. tomeoka のコメント:

    高橋さん
    素敵なコメントありがとうございます。
    私もそのようにありたいと思っています。
    トメオカ

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